こんにちは。mi-Reiです。
大人になるってどういうこと?
常にわたしの命題だと思っています。
大人の姿をした子どもみたいなのが、女性男性問わずまわりにたくさんいるんですよね。
今回は、
本を読んでいて「こういう大人になりたい」と思ったことや、
周りを見ていて「こんな大人にはなりたくない」と感じたことを、
義務教育から大学院(修士)まで、18年という長い学生生活を経て、社会人を経験しているいま、
「大人になるってどういうこと?」
という疑問に自分なりの定義を与えるつもりで綴っていきたいと思います。
※見た目の話ではなく振る舞いや言動の話を中心します。
自分の感情をコントロールできるようになる。
もうこれがほとんどなんじゃないかとさえ思ってしまいます。プライベートならいざ知らず、職場やビジネスシーンでも感情が表に出る人とは接しづらく感じます。
わたし自身も昔は、毀誉褒貶に対して今より感情的に反応していました。
言うこともやることも子供っぽかったと思います。
それでもいつからか(多分大学生活の後半くらいから)、
「反応ではなく対応すること」を意識し始めてから変わってきたと感じています。
他人の言動という外部刺激に対して、感情的にすぐ反応するのではなく、
「相手はこういう文章を発音した。それに対してわたしがどう感じるかはさておき、どのように対処するかを考えよ」
という脳内プロセスを1枚挟むイメージです。
村上春樹並みに回りくどいですが、感情と議論を切り分けるアンガーマネジメントとして効きます(笑)
また、内心少し焦っていても、周りからは落ち着いているように見えるみたいです!
教養がある。
わたしが尊敬する大人って、やはり広い教養をお持ちだと思います。
「教養」というやや曖昧な言葉を使いましたが、ここでは具体的に、
「幅広い話題についていけるくらい豊富な知識」
を指しています。
そういえば、学生時代の教員に「コミュニケーション能力とは教養だ」と言った人がいました。
大人という言葉はしばしば、「大人の世界」「大人の話」という文脈で語られます。
こういう場合の大人って、多種多様な人たちといろいろな会話・議論をしていますよね?
なかにはライフステージが変わるごとに経験する社会的な手続きなども含まれていることがあって、その経験に基づく知識が大人の知性を感じさせる、ことが時々あります。
(これに関しては人によりますし、時と場合にもよります。)
また教養のある大人は、人にものを教えることが上手であることが多いように思います。
他人の幸せを考えられるようになること。
この領域に達したらもはや人間として完成しています(笑)
成人を越えて、聖人です。
他人の幸せや成功を、妬むのではなく喜ぶこと。
他人の 0→プラス を祝福できるようになりたいと思っています。
同じくらいに、他人の マイナス→0、つまり人を許せることもできるようになりたいですね。
もはやわたしの願望列挙に近くなってきましたが、これを達成するには言葉の使い方が本当に大切です。
言葉は人を励ましもしますし、傷つけもします。
より適切な言葉を選べるようにするのも、読書の理由であって良いとわたしは思います。
まとめ
感情コントロール、教養、人の幸せを喜ぶ… 結局は人生経験という言葉に集約できてしまうのかなと思います。でも、自分の経験だけをあてにしていると、生活の中で経験するのに時間がかかりますよね。いろんな人や本、情報に接し続けることで、他の人や先人たちの考えと自分の考えを重ね合わせて、人間としての成長を早めたいものです。